morinosoyの日記

ライティングの練習も兼ねて、いろいろな記事を載せます。

だから最後の晩餐に【FensterMagazine007号をうけて】

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最後の晩餐、という言葉を聞くと、それこそ苦虫を嚙み潰したような高校時代の淡い恋の記憶が蘇る。

 

一体何の授業で課されたのか、高校生にもなって隣の席の人と「明日世界が終わるとしたら、最後の晩餐に何が食べたいか?」ということを話し合う時間があった。当時私の隣の席に座っていたのは敬語で話すのが癖のクラスのお調子者で、今と変わらず男性と話すのが苦手だった私には珍しく話しやすい相手だった。

 

猫をかぶる必要もなく、おしゃべりに興じていた私は何を思ったか「ゴキブリを食べてみたい」と言い出した。「胃の中で再生して腹を食い破るという話も聞くし普段なら絶対食べないが、最後ならば今まで食べたことがなく、食べたら後悔しそうなものを食べてもいいだろう」と。

 

その日の掃除時間が終わり教室に戻ると、お調子者が私の好きな人もいる輪の中で「ゴキブリを食べたいんですって!」と話しているのが聞こえた。まともに話したこともない好きな人に「ゴキブリを食べたい女」と認識された瞬間だった。

 

そんな私は今、動物性食品を極力摂らないプラントベースな食生活を送っている。もちろんゴキブリも食べない。

 

では今なら最後の晩餐はどう過ごすか?

 

昼頃までぶどうを摘まみながらまどろみ、すっぴんのまま近所の花屋へ生花を買いに出かける。値段とにらめっこして結局一度も買えずにいる生花をウイスキーの空き瓶に入るだけ買い、西日がたっぷり入る部屋の机に置く。土から切り離され枯れゆく姿を憂うこともなく、今この瞬間の花弁の開き、しっとりとした触り心地や香りを楽しんでともに滅びるのだ。

 

夕飯は人参と大根を切り、トマトと市販のフムスを添えただけの私定番の“絶対に頑張らないご飯”を用意するだろう。もちろん、フムスはいくらでもつけていいこととする。常にストックしているレンズ豆のトマト煮が残っていたら、それを温めてもいい。植物性中心の食事の何がいいかって、どんなに食べても胃もたれしないところだ。

 

家族のもとに帰省することも、友達と会うこともしないだろう。ふるさとは遠くにありて思ふもの。美しいものだけを思い出す。それこそゴキブリのくだりのような、苦い思い出を掘り起こす必要はないのだ。

 

夜のとばりが下りてきたら、スタンドライトだけを点けてやわい暗闇に包まれた部屋で本を読む。怒りなど、苦しみなど、悩みなど!生きる予定がないならば持っていても仕方がない。私を生かしたその何もかもを捨てて、最期にはただ感じることで得られる世界に飛び立つのだ。モンゴメリの『青い城』がいい。訪れない未来に持つ、自分だけの青い城の設計に残りの時間をすべて費やそう。

 

最後はひとりで、珈琲を飲みながら。ふとした時に愛犬のぬくもりが恋しくなるかもしれないが、そこはご愛嬌。静かに終わりを迎えましょう。

 

*この記事のお題は私の好きなクリエイター、眞鍋アンナさんが主宰しているインスタグラムマガジン、Fenster Magazine007号から頂きました。