ヨーロッパ各都市を旅したムーミン作者が描く短編作品集 「旅のスケッチ」トーベ・ヤンソン著
まるいフォルムの不思議な生き物、ムーミンとの出会いは物心つく前に済ませていたが、その著者であるトーベ・ヤンソンとの出会いは大学2年生の時だった。
近所の図書館で、アンティークな色合いの全8巻のトーベ・ヤンソン・コレクションを見つけて『トーベ・ヤンソン・コレクション5 人形の家』を手に取ったのが始まりだ。
幼少期から漠然とフィンランドに憧れを抱いていたので、フィンランドに住む作家がどういう物語を書くのか興味があった。
その日は図書館から映画館に向かい、映画が上映される寸前まで表題作の『人形の家』を読んでいたのだが、私は見事にトーベの虜になった。何の映画を観たのかは覚えていない。
先日待ち望んでいたトーベ・ヤンソン自選短篇集『メッセージ』が刊行されたので、記念にトーベが『ムーミン』誕生以前に書いた旅の短編集を紹介する。
あらすじ
パリで出会った鬚が素敵な芸術家との<霊的な交流>を楽しむ娘、小さな嘘で孤独な日々からひととき解放された老人の葛藤、旅先で出会った黒衣の女との真夜中のカフェ巡り……。戦前のヨーロッパ各都市を旅した著者が、パリ、ドレスデン、セルㇺランド、ヘルシンキ、ヴェローナ、カプリを舞台に描く、皮肉とユーモアが冴える短編小説集。
作家情報
1914年ヘルシンキ生まれたスウェーデン系フィンランド人、トーベ・ヤンソン。彫刻家の父と画家の母を持ち、はやくから画家、短編作家として活躍する。1945年から25年間にわたって書きつづけた『ムーミン』シリーズは国際アンデルセン大賞ほか多くの賞を受賞し、今でも世界各国でたくさんの読者に愛されている。『ムーミン』シリーズ完結後に執筆しはじめた大人向け小説もその作風を評価され、高い評価を得る。没後20年になるトーベ・ヤンソンの半生を描いた映画『TOVE』(原題)も2021年秋に日本公開が決定されている。
すれ違う誰かの生を感じる物語
降りたことのない駅の、いつも通り過ぎてしまう町。窓からのぞく住宅街や商業施設を見ていると、ここにも生活している人がいるのだなと不思議な気持ちになる。
建物の様式も、あふれる言葉も食文化も異なる外国ならなおさら。訪れるまでは自分の中で生きていなかった人たちがひしめく旅先にも、人の数だけ物語があることを思い出させてくれる短編集だ。
実は題名からトーベの旅行記だと勘違いしていて、コロナ禍で見通しが立たない海外旅行への渇望を癒すために読み始めた。
エッセイではなかったものの、ヨーロッパ各都市を舞台に鮮やかに描かれる短編たちは心をパリへ、次はドレスデンへ……と見事に飛ばしてくれた。
短編たちはどれも人生への皮肉とユーモアに満ちているうえ、トーベの短編はとても物語の締め方が上手いので読後感が抜群に良い。ああ人生っていうものは!
私のお気に入りはドレスデンが舞台の『手紙』とヴェローナが舞台の『サン・ゼーノ・マッジョーレ、ひとつ星』
孤独な老人が主人公の話と、旅先で出会った日々にうんざりしている女性に振り回される話だ。これを読めばあなたもトーベの筆致の虜になるはず。