卒業式(卒業しません)
3月18日。とても天気がよくて、あたたかい光を部屋の中心で全身で浴びているにもかかわらず、今朝は気分が最悪だった。胃のあたりで蛇がとぐろをまき、肺は押し潰されたようで呼吸がままならない。
呼吸が浅くなると、動くことも休むことも難しくなる。なんとか不穏な兆候を誤魔化そうと、料理や野菜の下処理、家事に意識を向けて胸のもやもやを霧散させた。
散歩、散歩に行こう。こんな天井と壁が迫ってくるような場所からは出て、新鮮な空気を吸って、太陽光を直接浴びるのだ。
そうして家を出て川沿いを歩いていると、今日は大学の同期の卒業式だということに気付いた。そして、卒業年度生である私の学校のロッカーも今日付けで撤去されてしまうことも。
昨日送られてきた学校からのお知らせでその事を知り、なすすべがなかったのだ。置き勉はしない質なので、入っているのは確か学校指定の聖書とスリッパ。スリッパは、結構お気に入りだったんだけどな。あんな上品な黒のスリッパは、なかなか無いだろう。
そんなことを思いながら、最近お気に入りの美術館に向かった。一階から二階へ、そしてまた一階へと無料の展示物をぐるぐると見て回る。
きのこの繁殖をモチーフとして編まれたもの、内服薬の形にシャツが縫われたもの、根や放射能など“見えないもの”をイメージして紙を縒り繋げたもの。
なかでも、真っ赤な塊が並んでいる展示が目についた。よく見ると、細い体に不釣り合いな大きな頭を抱えている人形のようだ。
人間は愚かな存在であると共に愚かなことを認められない生き物です。身に余る力を追い求めた結果、精神的にも物理的にも動けなくなっている姿を表現しました。――富永明日香
題名は「Happy Set」
作品紹介文を読んで、既視感はこれかと納得した。私が本当に酷い状態にあった時、幾度となくこの体勢になっていたことを思い出した。
足にも手にも力が入らなくて、胸は苦しく背筋を伸ばしていられない。座ることも辛ければ、寝転がっても辛さはちっとも減らずに増すばかり。頭だけがどんどんと内側から肥大していっているようなのに、視野は狭まり一点を凝視しているよう。
「身に余る力を追い求めた結果」か。今も変わらず追い求めてしまっている気がする。認めたくないのだ。
全てが「身に余る力を追い求めた結果」ではないと思いたいが、私はうつになり大学1年次に半年、3年次に一年間休学してそれぞれ数ヶ月間入院していた。
朝から具合が悪かったのは、いわゆる“普通の”道からそれてしまったことを改めて感じてしまっていたのかもしれない。
だが、なんだかんだ言っても今日はめでたい日だ。同期は卒業し、私は生き延びている。
おめでとう、私!休学しても諦めなかったおかげで、少なくともあと一年半は大学図書館を使い放題だ。祝杯をあげろ!今日だけは許せ!